ミドルトップの喜怒哀楽<第3回> ~株式会社カヤック~ 前編


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事業や部門のトップ層(ミドルトップ)である現場リーダーが何を考え、何に悩み、何に喜ぶのかを
ビースタイルのミドルトップである宮内が各企業のミドルトップに聞くコーナー。
第3回目は株式会社カヤック取締役・人事部の藤川綱司氏です。
今回は、記事を前編・後編に分けてご紹介いたします。

面白法人カヤック
面白法人カヤック
設立:1998年8月、2005年1月
1998年に合資会社カヤックとして設立後、2005年1月に株式会社カヤックとして再スタート。業務内容は「日本的面白コンテンツ事業」。「つくる人を増やす」を経営理念にゲーム、広告、スマートフォンアプリ、Webサービスなどのコンテンツを生み出すクリエイター集団。新規事業にも次々とチャレンジ。サイコロ給、漫画名刺、面白採用などのユニークな制度でも知られる。2014年12月に東証マザーズ上場。
藤川綱司氏
藤川綱司氏
面白法人カヤック 取締役・人事部
38歳。大学卒業後、金融機関に就職。2005年4月、株式会社移行のタイミングでカヤックに参画。管理部門を一手に担ってきた。カヤックの母親的存在としてみんなから慕われる。泣けた漫画は『おーい!竜馬』の竜馬のお母さんが死ぬ場面。「大体、死ぬところで泣いちゃうんです」(本人談)。休日はサッカーをしたり漫画を読んだりと自然体。
宮内修
宮内 修
ビースタイル常務執行役員
東京都出身。43歳。新卒で信用金庫入社、その後インテリジェンスを経て、ビースタイル創業1年目に入社。しゅふJOBスタッフィング(主婦のパートタイム型派遣)事業の責任者、新規事業責任者、人事責任者・管理部門責任者等を歴任。現在、3つの事業統括と子会社社長、法人マーケティングの責任者。

代表の柳澤大輔氏との出会いは中学時代の塾

宮内 代表の柳澤さんとは中学時代に出会っているんですね。
当時、柳澤さんが大学生で、塾の先生だった。印象は?
藤川 印象というほどはっきりとは記憶にないのですが、
おもしろい先生だったと思います。
授業が始まる前に、必ず何か雑談をする。
普通は雑談などせずパッと授業に入る先生が多いと思うんですが、
柳澤は自然と子ども達の心をつかんでいたように思います。
大学生で年齢も近かったし、親しみやすい先生でしたね。
宮内 その後、一緒にアルバイトすることに。
藤川 はい。私もその後、その塾の先生のアルバイトをするので、
塾講師仲間という関係になりました。
学校の先輩や部活の先輩という感覚に近いですね。
一緒に遊んでくれたりもしましたし。
宮内 将来の話などもしたんですか。
藤川 いや、全然(笑)。当時は全くそういう話はなくて、
マージャンとか遊びの話ばかりでした。
宮内 藤川さん自身は、その頃、将来をどう考えていたんですか。
藤川 こうなりたい、こんな職業につきたいというのはなかったですね。
高校でも、大学でも、ビジョンがあるタイプの人間ではなかったですね。

宮内 では、普通に就職活動をして。
藤川 はい。周りの学生と同じように
就職活動をして、金融機関に行きました。

新卒で信用金庫へ。3年目に「これでいいのか」と疑問

藤川 金融機関を選んだのは、家族が全員金融機関で働いているから、
という理由が大きいですね。
世の中の役に立つために何か公共的なことがしたいと考えたとき、
役所や金融機関なら実現できるのかなと思って、なおかつ家庭環境が金融機関関係だった。
となるともう、自分は金融に行くべきなのだろうと思って、
地場に特化した信用金庫に入りました。
当時は、全国転勤をしたくなかったんです。だから信金に。
子どもの頃、親が銀行で働いており全国転勤があった関係で、
様々な小学校を経験した反動でしょうね。
宮内 柳澤さんとの再会は?
藤川 柳澤とは、塾つながりで年に何回か会うような関係でした。
カヤックを立ち上げた頃に、当時、僕は学生でブラブラしていて、
アルバイトをさせてもらったりもしたので、
会社の存在は知っていたし、会社を作ったなんてすごいなとは思っていました。
ただ、僕自身はベンチャーをやるという志向はなかったし、
一先輩のやっていることを手伝っているという感覚でしかありませんでしたね。
信金4年目のとき、ちょうどカヤックが合資会社から株式会社に移行するタイミングで、
管理部門を専門にやる人が欲しいということで、声をかけてもらったのです。
実は僕もその少し前から、このままでいいのかな、と思い始めていて…。
宮内 わかります! 僕も新卒で信金だったので。何というか、見えちゃうんですよね。
藤川 社会を知り、学生のときには考えられなかった視点で
自分の人生を考え始めると、
僕の価値観でより楽しさを感じられる仕事に
出会えたらいいなという気持ちがでてきました。
カヤックがそうかどうかは、その当時はわかりませんでした。
インターネットに明るかったわけでもなく、まったくの畑違い。
でも柳澤の人柄を知っていましたし、そのままつぶれるリスクもあるかもしれませんが、
彼の元でやって失敗したら、それはそれで仕方ないという覚悟ができました。
ベンチャーという、全く会社の規模もステージも違うところに
チャレンジできるのもおもしろいと思い決めました。

入社を決めたとき、理念の軸をしっかり持っていることがいいなと思った

宮内 セミナーで柳澤さんのお話を伺ったことがあります。
新しい企画やアイデアが生まれる一方で、原理原則や会社のDNA、
伝統的な会社としての基礎のような部分を大事にする両面がありますよね。
それがすごくおもしろいと感じました。
藤川 意外にそうですよね。
宮内 いわゆるイケイケのベンチャーのような会社とは対極にあると思いました。
藤川 そうですね。入社を決めたとき「いいな」と思ったのは、
理念の軸をしっかり持っている会社だということ。
創業の頃から、経営理念をしっかり持たなくてはいけないと考えて、
納得のいく経営理念として生まれたのが「つくる人を増やす」というものです。
柳澤は、会社というものの本質を随分と勉強したそうです。
合資会社時代に経験を積んで、学んで、そこで見つけた
「こういうことが大事なのだろう」というものを貫いてやってきている。
経営理念も、何百社も見て研究したうえで決めたと言っていました。
宮内 それは御社の成功の理由の一つなのでしょうね。クリエイターの会社というと、
自由を標榜しそうなイメージですが、そうではない。
藤川 「この世にないものを作ろう」、「唯一のものを作ろう」と言ってやってきていますが、
でも会社の在り方や根本の理念はぶらさずに、
軸があることが大事だという考えは一貫して持っています。
最近のベンチャーは、そういうことを大事にしている会社が多いと感じますね。
宮内 最近はそうですね。それはカヤックさんの影響もあるのかもしれませんね。
藤川 そういう役割になっているなら嬉しいですね。

カヤックの母として、デコボコを埋める役割に徹する

宮内 御社のホームページを拝見したら、
藤川さんの紹介で「カヤックの母親的存在」、「すべてを受け止める」と(笑)。
ご本人はどう思っているんですか。
藤川 どうかなあ(笑)。僕の強みというか、役割はそうなのかなと思います。
どこの会社も、管理ポジションの人はそう呼ばれることが多いですよね。
世話役というか、どうしても色々なところが
デコボコしてくるのを整えていく係が必要かなと思って、
その役割はずっとやってきた感じはしますね。
宮内 それは自然とですか?他にやる人がいなかった?

藤川 両方あると思います。まあ、僕の得意な分野ではあったのでしょうね。
でも僕は、他にやる人がいれば任せちゃうタイプなので、
他にいたらやっていなかったでしょうし。
ベンチャーはもう、そこら中にやることがあって、
そのなかでこの役割を選んだということだと思います。

宮内 全体を見て、必要なところはオレがやればいいという感覚ですか?
藤川 感覚的にはそうですね。
最初は何でもやって、徐々に人事や経理などは他の得意な人に任せて、専門化して。
そのようなシステムになっても、
どうしても「これはどこに属するんだ?」というものが出てくる。
それは僕が整えて、どこの部署に振るとか、自分でやるとか。

今回はここまで。
いかがでしたでしょうか。
クリエイティブな側面に目が行きがちですが、理念の軸をしっかり持ち、
会社のDNAを築きあげているところが印象的でした。

次回は藤川氏の喜怒哀楽、カヤックの母と呼ばれる理由が明らかになります。

是非お楽しみにしてください。